「速読」は"速く読むこと"ではない


From:

Stephen S. HANADA

Shinjuku, Tokyo

Sunday, 09:53 a.m.

親愛なる友人へ、

いかがお過ごしですか?

「どうして気づけたの?」

「どうして読み飛ばさなかったの?」

ここ最近、私のNewsletterの内容に関して、同様の質問が何件か異なる人から投げられました。そのうちのいくつかは「霊は心臓の後ろ側から体内に入り込みます」というフレーズについてでした†1。普通の感覚だと見落としてしまうものを、どうして気づけたのか、という方法に関する問いでした。しかし、それは同時に、彼ら自身もこのフレーズを覚えてしまうほど興味を持っていたはずなのに、私のNewsletterの中で一度は読み飛ばしてしまっていたけれど、後で気づくという体験をしていたことに疑問を感じたことの表明でもありました。

私が色々な一節や主張に気づける理由や原因には、運の要素も多少はあるでしょう。しかし、たとえ運だとしても、気づくための確率を上げる操作は意図的に実施しています。それは、注意深く読むというものでもありませんし、全文を事細かに見るということでもありません。私は、

自分の知らないものを、つまり、

自分を否定するものを、

求めているだけです。

「だけ」とは言いましたが、これは難しいのかもしれません。なぜなら、人は、自分の意見を補強してくれるような類事実を集めがちだからです。無意識的に、自分の意見を否定するような情報やデータを無視してしまいます。人は知っているものや自分を肯定してくれるものに対しては敏感に反応します。

その一方で、速読をしたいとか、多くの情報を速く収集したいとか、そういう話や広告はたくさん溢れています。そして、多くの速読の本では、上記の人の傾向に触れることはなく、また、根源的な態度について提案することもなく、本の構造を理解する方法や、眼球の動かし方について語っています。愚かです。

「速読」というのは速く読むことではありません。「速読」で求めていることは、

自分の知らないものに速く気づくこと

でしょう。何冊本を読んだかではなく、自分の知らないことにどれだけ気づけて、知らなかったことを知ること、これが求めているものでしょう。

「どうして気づけたの?」という問いに答えるなら、自分の知らないことを察知する能力が、私は他の人より多少強いから、となるでしょう。それは、自分のアウトプットをこのNewsletterであなたに真正の価値として伝えたいからであり、自分の知らないもの、自分を否定するものを常日頃から探しているからに他なりません。

そして、そのために、Zettelkastenを用いて、物理においても脳においてもlatticework of theoryを作っているのです†2。

「どうして読み飛ばさなかったの?」という問いに対しては、私のZettelkastenと私のlatticework of theoryが、「これは私の知らないことだ!」と教えてくれたからだと、答えざるを得ません。自分の中において、いずれの文脈に置いたとしてもヒットしない文言、もしくは、新たな文脈を作らざるを得ない文言、つまり、私が知らないだけではなく、私の中の何かを否定してくれるようなものを見落とすことを許容できない身体に、私の身体がそうなっているだけです。

私がやっていることは特別なことではなく、また、ハードワークをしているわけでもありません。

ただ、世界を記述すること、自己を記述することをやっているだけです。

もちろん、そのために、身体の記述もやります。前回のNewsletterにおける手の形や指の位置から身体全体への影響も記述の1つです。

自分の知っていることという坩堝に籠もってはいけません。エコー・チェンバーは避けなければなりません。知らないこと、自分を否定することを意図的に求めましょう。そのためには、自分の知っていることをよく把握しておくために、自己と世界と身体の記述を忘れてはいけません。

それでは、

青を心に。

Stephen S. Hanada

"Gentleman Philosopher"

†1: この一節は「怪談に見られるマーケティングの基本」で取り扱ったものになります。

†2: "latticework of theory"というのはマンガーの講演の一節に由来します。何度かこのNewsletterでも扱っています。例えば、「もっと本を!」ではその原文と訳を載せています。

P.S. 今回の話は、私のNewsletterを読んでくれている人からのフィードバックに基づいて、気付かされた内容になっています。いつも読んで下さってありがとうございます。私はいつでもあなたからの感想や質問を待っています。また、30分ほど、あなたについてお伺いするのも楽しみにしております。以下に日程調整のためのリンクを添付しています。都合がつかなければ別途調整いたします。

​https://timerex.net/s/es.thou.3_645a/f512bd3

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