もっと本を!


From:

Stephen S. HANADA

Shinjuku, Tokyo

Sunday, 07:42 a.m.

親愛なる友人へ、

いかがお過ごしですか?

私の本棚に本が入り切らなくなってから、どれだけの月日が経ったでしょうか。そして、さらに本が増えていますが、このままだったら何冊になるのでしょうか?

たくさんある本のうち、どれだけの本を私は読み、自分のものとしたのでしょうか。そして、増えるスピードに対して、消費するスピードは追いついているのでしょうか。

ざっと計算するなら、現在私の部屋にある本を読み終えるには、今の読書ペースなら、少なくとも 40 年はかかります。さらに、買うのをやめずに、このままのペースで読むならば、一生読み終えることはないでしょう。(そして、引っ越しをしなければなならいでしょう。さもなくば、部屋が潰れてしまいます。)

溜息が出るような量です。そして、恐怖も覚えます。

私はこれらの本から、どれだけ知識を吸収し、それをアウトプット、アウトカム、インパクトにできるのでしょうか。これらを目的に購入した本ばかりなのに。

仕事に追われ、人間関係のストレスに苦しみ、十分に読書の時間を取れずに、どうして、インプットとアウトプットができるのでしょうか。

[My internal voice ends.]

「うるさい! 読め!

そうです、読むしかないのです。

読むことにおいて第一に優先すべきなのは、読書のための時間を多く取れるように他の時間を調整することや、集中できるようにストレスを減らすことではありません。それらももちろん大事なものではありますが、何よりも優先すべきことは、まず読む、ということです。

なぜ、まず読むことが大事であると私が考えるのか、と言いますと、これによって、上記の大事なことが満たされるように自然となる、という効果が得られることもありますが、それ以上に、人の脳の機能を、つまりは、忘れるという機能を信じているからです。忘れるというのは悪いことではなく、忘れた先にあるのが大事なものであり、脳が忘れなかったものは、本を読み終えた場合は、本の構成を示しているからです。だから、構成を把握するためにも、まずは読まねばならないのです。

この考えに至った経緯は、私の学部時代の体験からによります。

文学部に在籍中の私は、哲学を学ぶためには代数学と幾何学が必須だと考えました(不思議に思うかもしれませんが、そうです)。文学部の必修にはこれらはないので自分で学ぼうとしました。しかし、理解は全く進みません。基礎的な知識がなかったから、というところも原因かもしれません。根本的に、「なんでこの概念が必要なのか」、「なんでこれを証明しているのか」というのがわかっていませんでした。そして、理解も進まず、読み終えたページも増えませんでした。

しかし、理解ができないから、読み進めない、というのは過ちでした

さて、大学側の仕組みによって他学部履修によっても単位が貰えることが分かり、せっかくならと理学部数学科の代数学の授業を受けてみました。そして、最初の第一回目の講義の、最初の 10 分で、それまでわかっていなかった構成がわかりました。それは、冒頭で講師が次のように述べたことによります。

「この半年の講義で目指す定理はシローの定理です」

シローの定理が重要であり、使用するテキスト、および、講義や演習はこの定理につながるような構成になっている、という宣言でした。(もちろん、他の定理や系につながるものもあるけれど、というのは当然ですが。)

そして、自分で勉強していた私はこの定理の部分が記載されていることを読んでいなかったのです。もちろん、初学者がこの定理を先に読んでいてもその重要性には気づかなかったかもしれません。しかし、もし理解できないから読み進めないという選択を取らずに読み進めていき、シローの定理に気づき、それを足がかりにすれば、テキストの構成、概念の導入理由、証明の意図、これらを理解するのは容易になっていたはずです。

この体験から 10 年以上が経ち、私はこのことをつい忘れていました。

私は、仕事を言い訳にしたり、本に投資した分をなんとか回収するためにと言い訳したりして、役立つ部分をなんとか集めようとばかりしていました。この考えは捨てなければなりません。もちろん、アウトプット、アウトカム、インパクト、これらを求めてしまう気持ちはしょうがなく、また、これらを得ることが目的でもあります。しかし、本を読むとき、その仔細にこだわり、集めようとするのは誤りです。

そのため、私はここに宣言します。

本を読んでいるとき、メモを取りたくなるのを我慢します。

しかし、我慢しきれないような、抗えないアイデア、自分の思考を活発にしてしまうようなものに出くわした時は、自分の思考を main note に書きます。

そして、読み終えた時や、100 ページ前のことでもまだ思い出せるものがある時、それを bib note にサッと書きます。というのも、十分に時間が経ち、仔細を忘れても、脳が覚えているのは重要なもののはずだからです。そして、それはちょうど代数学のシローの定理のように、構成を作るもののはずです。その構成がわかれば、より読むスピードも早くなり、理解も進み、そして私の部屋の山積みの本も報われるはずです。

だから、まず読まなければならないのです。

そして、構成を把握し、重要なものを把握するのです。

そして、その構成や重要なものを、別の枠組みに置いて、アウトプットし、アウトカムを得、インパクトを与えることを試みるのです。

マンガーの言葉を思い出しましょう。

What is elementary, worldly wisdom? Well, the first rule is that you can’t really know anything if you just remember isolated facts and just try to bang them back. If the facts don’t hang together on a latticework of theory, you don’t have them in usable form.

「初歩的な、世間一般の知恵とは何か? 第一のルールは、孤立した事実をただ記憶し、思い出すだけでは、本当の意味での知識は得られない、ということです。格子状の理論の上で(on a latticework of theory)、事実がまとまっていなければ、使える形にはなりません」

人生は短く、かつ、カオスに溢れています。しかし、そのカオスの中にあって、Stable な場所を見つけて自分を安心させ、そして前に進むにあたっては、今の状況を格子の上において、まとめ、構成を見つけることが、肝要なのかもしれません。

そのためには、Stable な場所としての本を、まず読む、ということから改めて始めようと私は思います。

それでは、

青を心に。

Stephen S. Hanada

"Gentleman Philosopher"

P.S. 今、私は、マシュー・スチュワートの「マネジメント神話」について、まず読む、をやっています。次回までに読み終えることができたのなら、この本から得られた重要な、抗えないアイデアをあなたに伝えられたら、と思っています。

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