「そうである」のに「そうではない」語り方


From:

Stephen S. HANADA

Shinjuku, Tokyo

Sunday, 11:32 a.m.

親愛なる友人へ、

いかがお過ごしですか?

私達は度々、

そうであると知っていながら、

そうではないあり方で語ります。

このことを理解するために、私のDeliberateな思いつきの次の一文から考えていきましょう。

幽霊に重力魔法は効く。

この一文には心霊とファンタジーが混ざっており、あなたには奇妙に映るかもしれません。しかし、これは人々が見落としがちな共通の認識から出てくるものであり、その導出のやり方と、もともとの共通の認識への気づき方は、とても大事だと思います。

幽霊と言えば、様々なものが彷彿とされます。Jホラーの代表的な貞子やお岩さん、もしくは化け猫や地縛霊など、たくさんの幽霊が思い浮かばれることでしょう。家に出る幽霊や事故物件などは「もしかしたら…」と大人になっても怖くなるものの一つです。もちろん、幽霊が家に出るという話は日本だけではなく、各国にもあります。

例えば、イギリスのキンボルトン城には、ヘンリー8世の先妻、キャサリン・オブ・アラゴンの幽霊が出現しています。そして、彼女の現れ方は特殊で、上半身は二階に突き出す形で、そして彼女のドレスの裾は一階の天井から垂れる、というものです。これは、改築されたキンボルトン城では、キャサリンが居た頃とは異なり、二階の位置が高くなっているため、彼女は改築前の当時の二階の高さに現れるからです。つまり、キャサリンはもう存在しないはずの床に立っているか、もしくは床の不在に気づかず、ずっと当時の位置に居るかのどちらかです。

私はこの逸話を聞いてふと疑問に思ったのです。「家に出る幽霊や地縛霊などは、どうして家にとどまることができるのでしょうか?」私達が一定の場所に留まることは容易です。それは、地球の重力に影響を受け、慣性の法則に従っているからです。しかし、幽霊はどうでしょうか?

もし引力が幽霊に働かなければ、もう幽霊はとっくにこの宇宙のどこかに取り残されているはずです。というのも、地球は自転と公転をしていて、太陽系とその銀河系も動き続けているのですから。もし引力が幽霊に作用せずに、幽霊がその心霊的であるがゆえに物理法則を無視しているのであれば、猛スピードで複雑な方向に動くこの地球の一定の位置に居続けるためには、幽霊はとてつもない計算をし、とてつもない速度で移動をすることになります。だから、幽霊には引力が働き、ちょうど衛星のようにそこに留まり続けることができる、と考えたほうがより有り得そうです。そして、引力が働く、ということは、幽霊に重力魔法は効く、ということが分かります。

このような結論はあくまでもお遊びです。しかし、この結論は、数の共通認識を一つの文にまとめるという遊びの結果であり、気になる人には気になってしまうかもしれません。引力や衛星などは周知の事実であり、幽霊について語る人も元々知っていたものです。しかし、幽霊を語る時には、そうであることを知っていながらも、そうではないあり方で語っているのです。

そうであるのに、そうではないあり方で語る、ということは、フィクションや心霊に限りません。私達は日常的にやっています。

例えば、物理的な距離を取りあげて考えましょう。日本からブラジルまでの距離を語る時、私達は三次元平面上の距離の話をしがちです。決して、地球の直径のような、三次元空間での二点間の直線距離の話はしません。我々は三次元空間の中にいることを知っているはずなのに、距離を語る時には二次元的に捉えるか三次元平面的に捉えています。

もう少し距離について話せば、比例尺度ではなく、順序尺度を利用しているケースもあります。例えば、福岡と北海道札幌よりも、福岡と韓国ソウルの方が近いはずです。しかし、ソウルの方がより遠くに、札幌の方がより近い、と語られることがあります。それは、国境があることや、移動にまつわる手続きの多さ、言語の違い、様々な要素から心理的な距離を感じて、それを下地に距離を語っているのです。

そうであるはずなのに、そうではないあり方で語る、というのは当然です。それが語り手と聞き手との間で共通認識だからです。語り手も聞き手も「そうである」ことは知っているけれど、「そうではない」あり方で語り、聞いています。

その二人の間の語りに対して、外部から「そうである」と言うのは、自分が「神の視点」に立って気持ちよくなるためだけです。自分が「そうである」と信じていたとしても、むしろ、「そうではない」あり方の語りや「そうではない」認識の仕方に対して、自分がその中に入ったり、その視点に立ったり、(シンパシーではなく)エンパシーを感じたりすることの方が、より楽しい上に、より前進するのです。神の視点では何も前進しません。複数の認識や語り方を手に入れ、綜合するか、独立した枠組みとして行き来することが、知の前進となりえます。

幽霊のあり方について、宇宙や物理学から述べるか、平面や神秘から述べるか。距離について、三次元や比例尺度で語るか、二次元や心理的ハードルから語るか。いずれも成立しますが、一つの対話の中では交わらないような共通認識、土台、もしくは枠組みがそこにはあります。

神の視点に立たず、枠組みを飛び越え、そして、一つの枠組みの中で意味があったものを、別の枠組みに持っていって考えるのです。そうすることによって、新たな見解が得られたり、新たな一文、今回のような「幽霊に重力魔法は効く」という一文が生まれたりします。これによって、知は前進し、記述はより正確になり、そして、真正なる記述へとより近づくはずです。

あなたの身の回りにも「そうである」はずなのに「そうではない」あり方での語りがたくさんあると思います。ぜひ目を向けてください。

それでは、

青を心に。

Stephen S. Hanada

"Gentleman Philosopher"

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