噂は、世界の敵です。


From:

Stephen S. HANADA

Shinjuku, Tokyo

Monday, 10:46 a.m.

親愛なる友人へ、

いかがお過ごしですか?

人を信頼すべきだ

人を疑ってかかるべきだ

ここ最近の私は、この 2 つの相反する信念の間で揺れ動いています。

大きな方針としては、信頼すべきに片寄るべきだということは知っています。そして、そうしたいです。実際、多くの人に悪意はない上に、事実を語っていますから、信頼した方が人生としても経済的にも良いです。

しかし、個人的な攻撃を受けてしまえば、しかも、友人だと思っていた人から攻撃を受けてしまえば、その方針や事実を疑いたくなってしまいます。

疑うことはあったとしても、これは一時的な嵐で、今は静かにしているべき時で、この方針と事実について改めて見直してもよいかもしれません。

どうして人を信頼すべきなのかというと、人類史がここまで発展してきた理由に依拠します。つまり、協力と適応ができたからです。協力と適応には人を信頼することが含まれています。集団においても、個人においても、前に進むことは人を信頼せずにはなしえないでしょう。

ところで、人を信頼することによって、協力と適応ができて、それでなぜ人類は発展することができたのでしょうか?

私が思うに、協力することで自分の見えないものを把握し、つなぎ合わせることで、全体を描き、そして、するべきことを、つまり、協力や変化や適応ができるようになるのです。

我々が見えるものは限定的です。地球儀の上にいるありんこを想像してください。我々個人の見え方は、このありんこの視点から見た地球儀のようなものです。しかし、地球儀の上のありんことは異なり、地球上の我々は、地球の反対側のことも把握できており、どこでどのような紛争や災害が起きているかを知っていて、どうすべきかを知ることができます。さらに、現在という三次元的なもののみに限らず、過去、未来という四次元でも同様です。これができるのは、情報伝達技術それ自体ではなく、人を信頼しあう協力的な Multi Agent ゲームに参加していることによります。

三次元的にも四次元的にも、つまり、地球上や歴史上という多様体において、我々人間という Agent はそれぞれが限定的な能力を持っているに過ぎませんが、それぞれの接平面を協力してつなげて、全体を描くことができているのです。

この全体を描くことができることこそが、我々人類の力なのです。

だからこそ、人を信頼すべきなのです。

しかし、もし多様体の上にいる Agent で、情報を正確に伝達できない、もしくは、誤ったデータを送信するような Agent がいる場合、接平面はつなげられないか、誤った全体像を描くことになりかねません。

悪意ある Agent の場合以外にも、我々の知性、知覚、記憶能力は限定的で、上記のようなことは生じます。だから、協力と適応という力を十全に発揮するためにも、自己の信念の見直しと訂正可能性とは重要なのです(前回のメールを見てね)。

人は信頼するべき、そして、訂正可能な状態に保つべき、これらは大前提です。

しかし、信頼してはいけない伝達というのはあります。

それは、です。

なぜなら、その噂を伝達してきた Agent は、無責任かつ、自分の接平面を他人の接平面と偽っているからです。

噂というのは、例えば、「A さんから聞いたが、C さんには X という評価がされているらしい」ということを B さんが言うようなものです。これは、「C さんは X」であると、B さんが言うこととは全く違います。後者は、その発言に B さんが責任を持ちますが、前者の伝聞形式の噂においては B さんは責任を取りません。「そう聞いただけです」と言い逃れます。しかし、実際には、噂を流す B さんは「C さんは X である」ということを信じており、そのことを伝えたいのです。これが噂の邪悪なところです。

だから、噂というのは、多様体の上における Multi Agent の接平面をつなげる協力作業にとって、敵なのです。自分の接平面を他人の接平面と偽り、かつ、その協力作業において責任を取らない、このような噂という振る舞いは排除すべきです。

人を信頼すべきか、疑ってかかるべきか、という悩みについて、仮の答えを出しましょう。「である」という平叙文の形式の時は、人を信頼すべきです。他方で、「であると聞いている」という噂の時は、人を疑ってかかるべきです

ここまでは複数のエージェント間で起こる話でしたが、もしかしたら一人の心身のうちにも生じる可能性があります。

例えば、自分の書いたコードについて、適当なコードコメントを書いて自分で噂を作って、自分がそれを信じて、思った通りに行かない、ということはあるでしょう。また、自分の過去の判断について、記憶を捏造して(人は思い出すたびに記憶を変えていきますので)、それを信じて、間違った行為をしてしまう、ということもあるでしょう。もちろん、コードコメントや記憶というのは、多くは正しく、うまくいく場合が圧倒的に多いでしょうが。

このように、自分一人であっても、Multi Agent という側面があるのです。

自分という多様体において、今の視点は接平面でしかないのです。だから、その正確な記述と、記述の正確な伝達が必要なのです。噂という形式を排除し、平叙文にしていくべきなのです。だからこそ、私は Zetelkasten をやってるのです。

世界という多様体の上にいる我々は、協力と適応を経ることで、発展してきました。それぞれが接平面を記述し、伝達します。ここにおいて人を信頼していることが大事です。

そして、平叙文はこの協力的な Multi Agent ゲームにおいて信頼できますが、しかし、噂はこの協力作業において敵です。

しかし、重ねて言いますが、信頼することを忘れていけません。だからこそ、噂は排除しなければならないのです。

それでは、

青を心に。

Stephen S. Hanada

"Gentleman Philosopher"

P.S. ここ数週間、強いメッセージを含むメールを送ってきました。この理由について、次回はお話しできればと思っています。

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