「初心」=「ピッタリの自分」


From:

Stephen S. HANADA

Shinjuku, Tokyo

Sunday, 08:54 a.m.

親愛なる友人へ、

いかがお過ごしですか?

前回のNewsletterでは、複雑なものを複雑に語ることの難しさと、その理由および対処方法について若干触れました。

しかし、すごく身近にありながらもすごく複雑なものについて、前回触れていませんでした。それは、

「自分」

です。もしくはエゴと言っても良いでしょう。自分というのは複雑です。これまで多くの哲学者や心理学者が「自分」について多様に論じてきました。例えば、ただの文法だ、ただの知覚の束だ、ただの眺望固定病だ、などなど。このことから分かるように、自分というのはメタに論じる上においても複雑であるように、対象としても複雑です。

かく言う私も、自分の複雑さにここ数日悩まされているようで、類似した悪夢を何度も見ています。

車に乗って道を走っているのですが、ある時、ブレーキが思ったように効かないことに気づきます。すると、ブレーキが全く効かない上に、サイドブレーキもまともに機能しなくなります。唯一ブレーキが作動する瞬間はカーブのときだけです。私は蛇行する山道をドリフトしたり、高速道路で対向車線に突っ込んだりしながらも、一瞬だけ効くブレーキを利用し、ハンドルを酷使しながら、全速力で走り抜けます。幸いにも事故は発生しませんでしたが、この夢の最中、私は事故への恐怖を感じながらも、興奮が止まりませんでした。

この夢の話を聞いてどうお思いますか? 人は寝ている間に記憶を整理すると言いますが、私は運転をここ数年やっていません。もちろん、薬の副作用の可能性もあるでしょう。しかし、もし、この夢が今の私の状況を整理するものだったらどうでしょうか? もしそうだとしたら、きっと

私は「自分」を守ろうとしている

のでしょう。自分が思い込もうとしている「自分」を守ろうとしているからこそ、こんな夢を見てしまっているのだ、と私は判断しました。

「自分」やエゴに過保護になろうとすることに対しての批判は、古今東西を問わずあります。現代だったら、David Gogginsがよく言っています。日本においては、室町時代の世阿弥も述べています。世阿弥の有名な言葉に「初心忘れるべからず」というのがありますが、これは初心者の時の気持ちを忘れるな、という意味ではありません。初心者の時も、慣れてきた時も、上級者になった時も、指導者になった時も、どんな時にもそれぞれの初心があります。つまり、世阿弥が「初心」という言葉で意図していることは、過大評価でもなく、過小評価でもなく、ピッタリの自分であることです。

ピッタリの自分

記述しなければなりません。

そうしなければ、芸能において、正しい努力ができない、というのが世阿弥の言です。

芸能に限らず、人は自分を大きく見せようとしたり小さく見せようとしたりして、「自分」という虚像を作ります。さらに、自分の習慣や特性やクセを無視したり無意識下においたりします。つまり、ピッタリの自分、初心を忘れてしまうのです。これによって、自分を曲解し、「自分」という虚像を通して世界を見るから、世界の記述もおかしくなります。だから、「自分」を捨てて、自分という複雑なものを正しく観察し、ピッタリとした自分を記述しなければなりません。

では、自分を記述する方法はあるのでしょうか。心の裡を探るのは難しく、ピッタリの自分を直接的に記述するのは難しいです。なので、私はまずは外部の身体を制御し、そして、ピッタリではない自分を探り、記述することをオススメします。簡単な方法は次のようなものです。

まず、両手をぐっと握ってください。

次に、親指、人差し指、中指を開いてください。

そして、残った薬指と小指だけで握り直してください。(今はピストルのような形になっているでしょう)

力を入れるのは薬指と小指だけにして、他の指は力を抜き、自然にしてください。

そして、ゆっくり呼吸をしてください。

以上です。すると、自然と腹式呼吸になっているでしょう。そして、立ってみたり座ってみたりしてください。すると、仙骨が立っているような、一本筋の通った身体を感じるでしょう。ただ、歩くと違和感を感じるかもしれません。

このように、特定の姿勢、特定の呼吸、特定の身体の動かし方を自分の身体に強制することから始めます。そして、その時の状態を覚えることで、そうでない状態が明確になっていきます。例えば、先程歩くことに少し違和感を感じたかもしれません。このような、自分の身体を制御できていないようなところ、ピッタリではない自分を探し、記述してください。

手の握り方一つで、身体は異なる見え方をします。これが心においても起きるだろうということは容易に考えられるでしょう。この手法を自分の心に適用するのです。その詳細な方法については、また別の機会に話そうと思います。

ところで、私の悪夢、ブレーキの効かない車を運転する悪夢は何だったのでしょうか? ブレーキが効かないというピッタリではない自分は何なのでしょうか?

私が思うに、あれは自分自身を制御する力がなくなり、いつも以上に力を出せるんだということを自分に言い聞かせようと焦っていることの現れなのかもしれません。そして、事故に結局遭わないことで、制御できていない「自分」を守ろうとしているのでしょう。さらに、事故に遭うかもという恐怖を感じているその一方で、力を出せていることに興奮と喜びを見出していました。そこには、自分が面白いものに向かっていることや面白いことをしているという裏付けを求めて、ここでも「自分」を守ろうとしているのでしょう。

この恐怖と興奮が対になって、私を駆り立て、「自分」を守ろうとしています。

この恐怖と興奮をもたらし、ピッタリの自分から引き剥がそうとしている力は何でしょうか? 私が見えている範囲では、貿易戦争やそれに伴う景気後退が始まろうとしている時代に今生きていること、世界大恐慌や国家消失が起きるかもしれないこと、その後の再建の時代が来るかもしれないこと、そして、古代ギリシアにおいてソフィスト達が求められていた状況と似た時代になってきたこと…

どうやら、改めて私は自己の正確な記述が求められているようです。身体の記述、自分の心がどうピッタリではなくなるのか、それを引き起こす将来への恐怖と希望と興奮、そして、それらを予兆させるような世界と情報、これらについて正確に記述をしなければなりません。

それでは、

青を心に。

Stephen S. Hanada

"Gentleman Philosopher"

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